マキャヴェッリ
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16世紀 ニッコロ・マキャヴェッリは著作『君主論』で現実主義的な政治理論を主張した。 大衆は常に、外見だけを見て、また出来事の結果だけで判断してしまうものだ。 — ニッコロ・マキャヴェッリ『君主論』第18章
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マキャヴェッリ
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「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の記事における「マキャヴェッリ」の解説
マキャヴェッリは『君主論』でイタリア人の堕落の原因を教皇庁にあるとする。教皇庁が堕落し、まじめな信仰を破壊しているどころか、権力政治の主体になっているとして決定的に批判した。また傭兵でなく、古代ローマのような国民軍によって国防しなければならないとする。このようなことから、マキャベリは世俗君主が自己の権勢statoを拡大することに期待して、政治の問題を、君主がいかにしてstatoを獲得し維持し拡大していくかという問題として論じていった。マキャベリの現実主義においては、人間は理性によって規律されるのでなく、情念によって動く。秩序というものも作為されたものであり、人間が徹底的に状況や運命のなかで眺められることになる。1559年、このようなマキャベリの教説を収めた書物は教皇庁によって禁書処分となった。その後、マキャベリの教説は、絶対主義の時代に通俗化され、国家理性(レゾン・デタ)という観念を生み出したが、悪についてそれがstatoのために必要であるとはいわずに、公共福祉のために必要であるとしたが、ここには政治と倫理、権力と道徳との緊張もなく、マキャベリの教説の歪曲といってよいものであった。しかし、マキャベリの教説はフランシス・ベーコン、ジェームズ・ハリントン、スピノザ、モンテスキュー、ルソー、フィヒテ、ヘーゲル、レーニンらによって評価されていった。
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