マイルス・デイヴィスとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 03:29 UTC 版)
「ジミ・ヘンドリックス」の記事における「マイルス・デイヴィスとの関係」の解説
ジャズ界の帝王マイルス・デイヴィスは、ヘンドリックスの才能を絶賛しており、ヘンドリックスの死後に「あれほど音感のいい人間は滅多にいるものじゃない」と語っている。デイヴィスがヘンドリックスを自宅に招いてセッションをした際、ヘンドリックスが譜面を読めずコード(和音)の名前も知らないためデイヴィスがピアノで音を聞かせると、ヘンドリックスは即座に反応してギター演奏で返して来たという。 また、デイヴィスは自身のバンドのギタリストに対し、「ジミ・ヘンドリックスのように弾くんだ」と常々指示していた。バンドに参加していたギタリストのジョン・マクラフリンやマイク・スターンが、いわゆるジャズ的な演奏をしても決して満足せず、ロック風な演奏をすると「それだ!」と喜んだという逸話もある。ヘンドリックスと同年代のマクラフリンは、ヘンドリックスと度々セッションを行っており、後に「ジミは後年の全てのギタリストに影響を与えた。私もジミに何らかの影響を与えられたのだろうか(自分では何とも言えない)」と述べている。スターンはヘンドリックスより若く、ヘンドリックスの影響を大きく受けたジャズギタリストとして知られる。 デイヴィスは、当時の妻だったベティ・デイヴィス(黒人の歌手兼女優、同名の白人ハリウッド女優とは別人)の紹介もあってヘンドリックスの音楽を早い時期からチェックしており、その後、ヘンドリックスのマネージャーを通して交流が始まった。。ヘンドリックスの側もマイルスの音楽に興味を持っていたが故のことであった。ヘンドリックスとベティ・デイヴィスはある時から不倫関係にあったと言われており、それがデイヴィス夫妻が離婚する原因の一つとなった。しかし、デイヴィスはその後もヘンドリックスの音楽的才能に惚れ込み共演を望んでいた。 デイヴィスのバンドのベーシストだったデイヴ・ホランド(ヘンドリックスとも度々セッションを行っていた)によると、ヘンドリックスとデイヴィスのレコーディングの仕方は非常に良く似ている面があったらしい(デイヴィスの自伝より)。デイヴィスによると、両者は互いに影響をあたえあう関係で、デイヴィス自身のトランペットプレイやワウワウミュートを使ったプレイもそれによるという。また、いわゆる「電化マイルス」という方向性は、ヘンドリックスの影響によるものという論評も存在する。 ヘンドリックスとデイヴィスは、共同でアルバムを制作する寸前の段階まで何度か進みかけたが、一度目はデイヴィス側が高額のギャラを要求したため流れた。二度目は、デイヴィスとヘンドリックスが出演した70年のワイト島の音楽フェスティバルの後にロンドンで行われる予定であったが、デイヴィス側が渋滞に引っかかり時間に間に合わなかったために流れた。三度目はギル・エヴァンスを加えた三人でニューヨークで録音をする予定であったが、その直前にヘンドリックスが死亡してしまい、結局具体的な形での共作は実現しなかった。 デイヴィスはヘンドリックスの葬儀に参列したが、「牧師がジミの名前を何度も間違えると言う不始末をやらかした」と語っており、それに強い怒りを覚えたとも加えている。デイヴィスが他者の葬儀に参列することはめったになかったと言われている(「マイルス・デイヴィス自叙伝」より)。
※この「マイルス・デイヴィスとの関係」の解説は、「ジミ・ヘンドリックス」の解説の一部です。
「マイルス・デイヴィスとの関係」を含む「ジミ・ヘンドリックス」の記事については、「ジミ・ヘンドリックス」の概要を参照ください。
- マイルス・デイヴィスとの関係のページへのリンク