ポール・マッカートニー&ウイングス
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「ジミー・マカロック」の記事における「ポール・マッカートニー&ウイングス」の解説
1974年8月、マカロックはポール・マッカートニーのウイングスに加入する。マカロック加入後初めて発表された曲はシングル「ジュニアズ・ファーム」(1974年)である。 マカロックは『ヴィーナス・アンド・マース』の反ドラッグソング「メディシン・ジャー」を作曲し、『スピード・オブ・サウンド』でも「ワイノ・ジュンコ」を作曲した。どちらの曲も彼がリードボーカルを担当している。元ストーン・ザ・クロウズのドラマー、コリン・アレンが両方の曲の歌詞を担当した。 ウイングスでの活動と並行してマカロックは兄弟のジャック(ドラムス)、デイヴ・クラーク(ベース、キーボード、ボーカル)と共に「ホワイト・ライン」を結成した。ホワイト・ラインは数回のギグを行い、シングル「"Call My Name"/"Too Many Miles"」をリリースした。13曲入りのアルバム『White Line - Complete』は1994年にクラークのレーベル、マウス・レコードからリリースされた。ホワイト・ラインはまた、1976年11月27日にイギリスのテレビ番組「Supersonic」に出演している。マカロックはこの他にも、「The Khyber Trifles」と共に2曲を録音(未発表)、ロンドンやグラスゴーでのライヴにも参加した。1977年にはロイ・ハーパーの『Bullinamingvase』やリッチ・マーティンの『Bleached』などに参加している。 1977年9月にマカロックはウイングスを脱退、再結成したスモール・フェイセズに加入し、同月に行われたイギリスでのツアーに参加した。アルバム『78イン・ザ・シェイド』(1978年)でギターを演奏している。1978年初めにマカロックはブライアン・ロバートソン、ジミー・ベイン、ケニー・ジョーンズと共に「ワイルド・ホーセズ」を結成したが、その春には脱退した。79年には「ザ・デュークス」に参加した。彼の最後の曲は「"Heartbreaker"」であり、アルバム『The Dukes』(1979年)に収録されている。 メロディックで強くブルースで影響を受けたギタリストであったマカロックは、通常ギブソン・SGとギブソン・レスポールを演奏した。マッカートニーがピアノやアコースティック・ギターを演奏する場合、彼はベースを演奏した。
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