ポポヴ(ポポフ)通報説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 17:21 UTC 版)
「真珠湾攻撃陰謀説」の記事における「ポポヴ(ポポフ)通報説」の解説
ドゥシャン・ポポヴというドイツとイギリスの二重スパイがニューヨークのFBIにいき真珠湾攻撃を教えた、という説。ポポヴの回顧録[要文献特定詳細情報]によれば、当時ポルトガルのリスボンにあったドイツ情報部から情報収集とスパイ網を作るように指令されて米に渡るが、その中に日本からドイツへの「ハワイのオアフ島にある、軍事施設、真珠湾の米艦船の停泊状況、湾内の水深などを調べて報告するように」との依頼があった。ポポヴは米につくなり、ニューヨークのFBIにこの真珠湾の件を話して、日本の真珠湾攻撃の可能性を強く主張した。FBIのフーヴァー長官は、二重スパイであり、プレイボーイであるこのポポフの話を真ともに聞こうとせず、そのままにした。[要出典] 問題はこの内容が事実かどうか、事実であるとすればフーヴァーはルーズベルトに伝えたかどうかである。ポポヴが提出したとする書類は国務省やナショナル・アーカイブスでも発見されていなかったが、1982年の「アメリカン・ヒストリカル・レビュー」にミシガン州立大学歴史学部のジョン・F・ブラッツェルとレスリー・B・ラウトの二人がFBIファイルのなかで発見したと発表した。ポポヴは明らかにFBIに真珠湾の調査を依頼されていたことを報告した証拠がある、とした。今野勉は『真珠湾奇襲・ルーズベルトは知っていたか』[要文献特定詳細情報]の中で、ポポヴの情報を元にフーヴァーが1941年9月に大統領秘書官に提出した報告書を紹介しているが、そこにはドイツの諜報員が情報を伝達する手段について記されているだけである[要文献特定詳細情報]。さらに、今野はポポヴに対するドイツからの調査項目を紹介し、その中には確かに真珠湾が含まれているものの、イギリスがアメリカからどの程度の援助を受けているかがメインで、真珠湾の扱いはそれほど緊急性を与えられていないとする[要文献特定詳細情報]。FBI側の内部文書には、ドイツに偽の情報を渡してポポヴを利用していることは記されていたが、真珠湾に関しては何も触れていない。また日本海軍はそれ以前の段階からハワイの情報を各種のルートでつかんでおり、ドイツを経由して諜報活動をする必然性にも乏しかった。今野はこれらを総合して、ポポヴが日本の真珠湾攻撃の企図をフーヴァーに伝えたとするのは、回顧録で「でっちあげをやった可能性がきわめて大きい」と結論づけている[要文献特定詳細情報]。
※この「ポポヴ(ポポフ)通報説」の解説は、「真珠湾攻撃陰謀説」の解説の一部です。
「ポポヴ(ポポフ)通報説」を含む「真珠湾攻撃陰謀説」の記事については、「真珠湾攻撃陰謀説」の概要を参照ください。
- ポポヴ通報説のページへのリンク