ボス時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/03 16:38 UTC 版)
「トーマス・ルッケーゼ」の記事における「ボス時代」の解説
1951年のガリアーノの死後、ボスの座を引き継いだ。副ボスにステファノ・ラサール、相談役にヴィンセント・ラオを据えた(両方レイナ時代からの古参)。1957年、当時ニューヨークマフィアのトップに君臨したフランク・コステロを、その副ボスでボスの座を狙うヴィト・ジェノヴェーゼと共にボスの座から追い落とした。更に同年10月、コステロの同盟者であるアナスタシア一家のアルバート・アナスタシアの暗殺に加担したと言われ、カルロ・ガンビーノのボス就任を後押しした。同年11月、アパラチン会議に参集した全米のマフィアの多くが地元警察に拘束された時、ルッケーゼは遅れていて拘束を逃れた(部下のラオらは拘束された)。1959年、ジェノヴェーゼは麻薬取引の罪で収監されたが、一説にジェノヴェーゼを監獄送りにする陰謀に加わっていたとされる。 1962年、政略婚を通じてガンビーノと絆を深め、プロファチ一家のボスには傀儡であるジョゼフ・コロンボを据え、ボナンノ一家のボスのジョゼフ・ボナンノは実質引退に追い込み、ガンビーノと並んでニューヨークマフィアの主導的立場に立った。 ヴィンセント・ラオやジョニー・ディオ、アンソニー・コラッロらビジネスセンスと暴力を兼ね備えた人物を重用し、これらの稼ぎ頭のおかげでルッケーゼはライバルファミリーへ優位に立てたとされる。政界へのコネクションではフランク・コステロに匹敵し、ニューヨーク市長や連邦検事、警察署長などと人脈を持っていた。1952年9月、ニューヨーク州議会の犯罪特別委員会に召喚され、これら権力者とのつながりが暴露された。マフィアの一味であることが知られるまで著名な実業家で通っていた。露出を控え、捜査ターゲットになることを極力避けた。1952年にアメリカ当局より不法入国者と宣告されたが、裁判で巻き返した。夜の歓楽街では、ジミー・デュランテ、フランク・シナトラ、ディーン・マーティンなどのスターと付き合いがあり、後2者とは、マサチューセッツの競馬場の共同パートナーを務めた。部下に対して公正で、人望のあるボスと言われた。
※この「ボス時代」の解説は、「トーマス・ルッケーゼ」の解説の一部です。
「ボス時代」を含む「トーマス・ルッケーゼ」の記事については、「トーマス・ルッケーゼ」の概要を参照ください。
- ボス時代のページへのリンク