ホーリネス教会牧師
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1923年(大正12年)に献身して、柏木聖書学院に入学する。1925年(大正14年)4月卒業後に新任福音使に任命された直後、日本ホーリネス教会第7回年会のときに中田重治の次女の京と結婚した。その年会で足利教会に任命されて赴任した。 1926年(大正15年)3月9日に中田重治の初孫である長男重蔵が生まれる。1930年(昭和5年)に次男の宣道が生まれる。 義姉の陸奥(中田重治の長女)が1926年(大正15年)4月12日に大江捨一と結婚する。1928年(昭和3年)には、中田重治の母千代の告別式の際に、大江捨一と共に出席する。 ホーリネス分裂事件の際には、中田監督側のきよめ教会の牧師になる。1935年(昭和10年)に長男の重蔵が渡良瀬川で溺死する。1939年(昭和14年)の中田重治の側近として、森五郎と共に、中田の遺言を聞く。 1940年(昭和15年)に青森県の弘前住吉教会に転任する。1941年(昭和16年)に日本基督教団成立時には、第9部の牧師になる。
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