ホンダの四輪乗用車への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 10:23 UTC 版)
「ホンダ・S360」の記事における「ホンダの四輪乗用車への進出」の解説
四輪車事業への進出を目指したホンダは、後にT360となるトラック型モデルと共に、試作モデルXA190として2シーターオープンの開発を進めていた。(当時のホンダの四輪開発担当責任者は中村良夫である。) 1961年(昭和36年)に通産省(当時)から自動車行政の基本方針(のちの特振法案)が示されると、本田宗一郎は通産省の事務次官佐橋滋に直談判を行い「自由競争こそ自動車産業を伸ばすものだ」と掛け合った。特振法案は1963年(昭和38年)3月に法案化されたものの、最終的に1964年(昭和39年)1月に廃案になったが、この時点でホンダは乗用車の市販実績を作る必要に迫られており、1962年(昭和37年)1月より本格的な四輪乗用車の市販に向けた計画を進める事となる。 1962年(昭和37年)6月5日、第11回全国ホンダ会総会の製品展示・試走会(ディーラー向けイベント)が、当時まだ建設途中の鈴鹿サーキットのお披露目も兼ねて開催された。この際、宗一郎本人がハンドルを握るS360が、中村を助手席に乗せ一般に公開された。 1962年(昭和37年)10月25日から13日間、東京・晴海の東京国際見本市会場で開催された第9回全日本自動車ショーにも出展された。この時の仕様は、パイプフレームにFRP製のボディと言われる。 軽自動車のスポーツカーとして市販が期待されたものの、結局S360は販売されず、ホンダ初の四輪スポーツモデルは後のS500を待つこととなる。
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