ホンダエンジンの活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 04:46 UTC 版)
「1987年のF1世界選手権」の記事における「ホンダエンジンの活躍」の解説
前年に安定したパフォーマンスを見せたホンダエンジン搭載車がこの年も強さを見せ、ウィリアムズとロータスの両チーム併せて11勝を挙げた他、イギリスGPでは初の決勝1〜4位独占(マンセル、ピケ、セナ、中嶋)、イタリアGPでは決勝1〜3位(ピケ、セナ、マンセル)を達成する等、表彰台の常連となった。ウィリアムズは前年の傑作マシン、FW11を熟成させたFW11Bで9勝を挙げ、シーズンを圧倒。2位に61点差をつけてコンストラクターズタイトルを連覇した。 ロータスはアクティブサスペンションの熟成に手間取りながらも、セナが得意とする公道コース(モナコGPとアメリカGP)で2勝を挙げた他、中嶋もデビューイヤーの上にアクティブサスペンションやエンジンを起因とする多くのマシントラブルに襲われたほか、予選では中団に沈むことが多かったにもかかわらず、シーズン当初から堅実にポイントを稼いだ。 この様にホンダエンジンとウィリアムズとのコンビは活躍を見せたものの、イタリアGP期間中に、ホンダは翌1988年のエンジン供給先はロータスとマクラーレンとなることを発表した。1984年以降続いたウィリアムズとの契約は、1年を残して打ち切られることとなった。
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