ホスチアの中傷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 01:21 UTC 版)
ユダヤ人は血の中傷だけでなく、それ以外の様々な中傷にも耐えてきたが、その一つに、ユダヤ人がキリスト教のミサで用いられるホスチア(薄焼きのパン)を冒涜するというものがある。ホスチアはキリスト教徒によってイエスの体(聖体)の象徴と見なされており、敬虔なキリスト教徒は、ホスチアを刺すとそこから血が滴り出るという話を信じている。 1290年、パリに住むユダヤ人夫妻に関する中傷が広まった。それによると、この夫妻がとある教会の秘密の部屋で、床が血で溢れかえるまでホスチアを刺していたというのである。異端審問にかけられた2人は火刑に処せられている。同様の事件は1556年にポーランドのソハシェブでも起きており、3人のユダヤ人に死刑が宣告されている。 1298年の夏、ドイツでもホスチアにまつわる中傷から惨劇が起きている。フランケン地方のレッティゲン(Röttingen)という町のあるユダヤ人の家屋から赤子の泣き声が聞こえたが、これがホスチアの呻き声として噂されたのである。すると「リントフライシュ王」König Rintfleisch(※ドイツ語で「牛肉」を意味するRindfleischとは異なる)と名乗る騎士(屠殺人という説もある)は、“天から、聖体に対する冒涜の容疑でユダヤ人を絶滅させる使命を受けた” と宣言した。彼の指揮の下に煽動された群衆が暴徒と化し、4月20日レッティゲン在住のユダヤ人56名を惨殺した。群集はその勢いのまま各地を巡行し、フランケン地方の2大中心都市ヴュルツブルク(7月24日)、ニュルンベルク(8月1日)ほか、バイエルン地方、シュヴァーベン地方などで146もの町を破壊した。今日では、この一連の暴動によって、およそ2万人ものユダヤ人が虐殺されたと見積もられている。(de:Rintfleisch-Pogrom)
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