ペラム家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/22 23:59 UTC 版)
現存する第3期のチチェスター伯爵は、ペラム家によって世襲されているものである。ペラム家が最初に称号を得たのは、庶民院議員として活躍したトマス・ペラム(英語版)(1540–1624)が1611年5月22日に叙せられた「カウンティ・オブ・サセックスにおけるロートンのペラム準男爵(Baronet Pelham, of Laughton, county of Sussex)」である。その曾孫である4代準男爵サー・トマス・ペラム(1653–1712)もホイッグ党の庶民院議員として活躍し、1706年12月16日にはイングランド貴族爵位「カウンティ・オブ・サセックスにおけるロートンのペラム男爵(Baron Pelham of Laughton, county of Sussex)」に叙せられた。 その息子であるトマス・ペラム=ホリス(1693–1768)は、母方の伯父にあたる初代ニューカッスル=アポン=タイン公爵ジョン・ホリス(1662-1711)の財産を継承した関係で1715年8月11日にニューカッスル=アポン=タイン公爵位を新規に授与された。彼は政界においてホイッグ党幹部の貴族院議員として活躍し、首相(在職:1754年 - 1756年、1757年 - 1762年)を務めた。しかし彼には子供がないため、爵位は絶えることが予想され、晩年には彼に特別継承権付きの爵位を2つ与えられた。1つは1756年に与えられた甥(妹の息子)の9代リンカーン伯爵ヘンリー・クリントンへの特別継承を認められたグレートブリテン貴族爵位「ニューカッスル=アンダー=ライン公爵」位であり、そしてもう一つが、1762年5月に与えられた従甥(3代準男爵の次男の孫)のトマス・ペラム(1728–1805)への特別継承が認められたグレートブリテン貴族爵位「カウンティ・オブ・サセックスにおけるスタンマーのペラム男爵(Baron Pelham of Stanmer, county of Sussex)」だった。 このトマス・ペラムもニューカッスル公の後援でホイッグ党の政治家で活躍していた。1768年にはニューカッスル公の死で第2代スタンマーのペラム男爵を継承し、さらに1801年6月23日には連合王国貴族チチェスター伯爵に叙せられた。これが現在まで続く第3期のチチェスター伯爵位の創始である。 2代チチェスター伯爵トマス・ペラム(1756–1826)は、トーリー党の政治家として内務大臣(在職1801年-1803年)などの閣僚職を務めた。 8代チチェスター伯爵ジョン・ペラム(1912–1944)は、第二次世界大戦に従軍したが、作戦行動中に交通事故を起こして死亡した。 2015年現在の当主はその息子である9代チチェスター伯爵ジョン・ペラム(1944-)である。
※この「ペラム家」の解説は、「チチェスター伯爵」の解説の一部です。
「ペラム家」を含む「チチェスター伯爵」の記事については、「チチェスター伯爵」の概要を参照ください。
- ペラム家のページへのリンク