ベルクホーフ山荘での生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 06:33 UTC 版)
「エヴァ・ブラウン」の記事における「ベルクホーフ山荘での生活」の解説
ヒトラーは「独身であることで婦人票が得られる」と考えていたため、第二次世界大戦が終わり、自らが死ぬまでドイツ国民がエヴァの存在に気づくことはなかった。また、オーバーザルツベルクはナチス専用の保養地と位置づけられ、外交や政治の舞台となったが、エヴァの存在が表に出ることはなかった。 もっとも、エヴァは政治にもヒトラーの思想にも無関心であり、生涯ナチ党員になることはなく、興味があったのは流行のファッション、音楽、映画だった。ヒトラーが山荘にいるときは外に出られず、友人や両親、親類を招いて夕食を共にすることが多かった。 軍需相アルベルト・シュペーアの回顧録によると、2人はベルクホーフ山荘、ベルリンの総統官邸や地下壕でも寝室は別々であり、もし閣僚などが政治の話をするために部屋に入ってくると、すぐさまエヴァは部屋を出て行った。ヒトラーはエヴァに対して時に侮蔑した態度を取ることもあり、彼女に喫煙や自分以外の男性とのダンスを禁じており、エヴァはそうした束縛に不満を募らせ、しばしば口論していた。 大戦中、エヴァは恋愛小説の読書や友人たちとの映画鑑賞など遊興に時間を費やすほか、写真にも関心があり、裸で日光浴をする写真など、自らを被写体とした写真が多数残っている。自分の暗室も持っており、ヒトラーのスチール写真や映画を現像することもあった。 また、1940年から総統護衛部隊の隊員としてヒトラーに仕えたローフス・ミシュの回顧録によると、カトリック教徒だったエヴァは、ベルヒテスガーデンのカトリック教会に通うこともあったという。 1944年6月、妹のグレーテルが親衛隊の将校ヘルマン・フェーゲラインと結婚する折、ヒトラーはエヴァが人前に出ることを許可する。結婚パーティーはオーバーザルツベルクのもう一つの山荘ケールシュタインハウス(通称鷲の巣)で行われた。 山荘での生活中、ヒトラーは国家元帥ヘルマン・ゲーリングに対して、「エヴァは私にとって生涯の女性だ。戦争が終わったら引退してリンツの町へ行き、彼女を妻にする」と発言している。
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