ヘレニズム期の考え方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:11 UTC 版)
ヘレニズム期の哲学においては、幸福について考えが分かれる二つの学派があったとされる。ストア派とエピクロス派である。 ストア派 ストア派では、宇宙全体を貫くロゴスとの合一に幸福の理想が求められ、理性に従い欲望を制御して、どんなことがあっても動じない状態、即ちアパテイアが幸福であるとした。 ストア派は理性に従い徳を高めることが幸福であるとする一種の主知主義の立場である、ともされる。 エピクロス派 エピクロス派は「快楽を得ることが幸福であるとした」などとされ、快楽主義などと表現される。ただし、エピクロス自身が言っていたことは、現代人がつい思い描いてしまうような、単純に享楽を求めるような"快楽主義"ではない。 エピクロス自身は、快を「感覚的な快」と、「精神的な快」に分けて考えていた。前者は生き物に共通の反応ではあるが、人間あるいは賢者にとっての幸福というのは、精神的な快であるとし、アタラクシアである、としていたのである。アタラクシアとは、静かな心の平安、あらゆる苦痛と混乱を免れた精神の安定した境地のことである。ヘレニズム期の幸福論を考察する時に、両派は対比され、一般にストア派は「禁欲主義」、エピクロス派は「快楽主義」と呼ばれ、てはいるが、このように静かな心の穏やかさを目指した面では軌を一にしている。「これら(両派)はいずれも、外部とのかかわりを可能なかぎり断って、もっぱら内面における安定ないし自足のうちに幸福の実現の可能性を求める立場であった」とも。欲望をどのように扱うかが、幸福論の中心的な課題であったとも。「この点では、苦しみの源である執着心(渇愛)から解放された涅槃寂静の境地に悟りの境地を求めた仏教の発想とも通じ合うところがある」ともされる。
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