ヘレニズム期から中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 16:20 UTC 版)
「カラク (ヨルダン)」の記事における「ヘレニズム期から中世」の解説
ヘレニズム期末期にはカラクはカルカ(ハルハ、Kharkha)と呼ばれる重要都市であった。カラクはナバテア王国の支配下となったが、105年にはナバテアもローマ帝国に征服された。東ローマ帝国のもとではカラクには主教がおり、ナザレ教会(Church of Nazareth)など崇拝を集める教会があった。 イスラム帝国による征服後もカラクの住民はキリスト教徒が主であった。十字軍の時代にはエルサレム王国の重要拠点となりカラク城が建てられたが、アイユーブ朝のサラーフ・アッディーンにより奪取されている。この時期の遺跡は今もカラクに多く残っている。
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