ヘレニズム期からローマへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 15:21 UTC 版)
「スパルタ」の記事における「ヘレニズム期からローマへ」の解説
詳細は「セッラシアの戦い」および「ナビス戦争」を参照 紀元前4世紀中頃からピリッポス2世の元で強大化したマケドニア王国がギリシアでの影響力を強め、アテナイやテバイはそれに対抗していたが、スパルタはそれには加わらず、ついにマケドニア軍がカイロネイアの戦いでアテナイ・テバイ軍を撃破すると、マケドニアの主導でコリントス同盟が組織され、マケドニアのギリシアでの覇権が確立した。しかし、スパルタはこの同盟に加わらずに反マケドニアの態勢を貫き、紀元前331年にはアギス3世のもとでマケドニアに反乱を起こしたが鎮圧された(メガロポリスの戦い)。 紀元前3世紀以降、アギス4世やクレオメネス3世、マカーニダースやナビスらが国政改革を実施して、アカイア同盟やマケドニア、共和政ローマと戦ったが、セッラシアの戦いやマンティネイアの戦い、ナビス戦争に各々敗北。この時期に名実共に独立国家としての地位を失った。 紀元前146年にローマはアカイア同盟をコリントスの戦いで破ったのを機に、スパルタを含むギリシア全土をローマの属州に組み込んだ(アカエア)。ただし、アテナイ並びにスパルタはかつての功績から一定の自治権を認められた。
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