プロ転向と改名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:32 UTC 版)
1960年10月29日にプロデビュー。タニー・ハンセイカーと対戦し、6R判定勝ちを収めて、プロデビュー戦を勝利で飾る。また、プロ転向直後にネーション・オブ・イスラムの信徒であると公表し、リングネームを現在の本名である、ムスリム(イスラム教徒)名モハメド・アリ(ムハンマド・アリー)に改めた。この名前は、預言者ムハンマドと指導者(イマーム)アリーに由来する。なお、1975年にはイスラム教スンナ派に改宗した。 1962年11月15日に元世界ライトヘビー級王者のアーチー・ムーアと対戦。試合前に、控え室の黒板に「ムーアを4ラウンドにKOする」という予言を書いてリングに向かい、その予言の通り4ラウンド目に3度ダウンを奪ってKO勝ちした。 1963年3月13日に、元世界ライトヘビー級王座挑戦者のダグ・ジョーンズと対戦。アリが10R判定で勝利。この試合はリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤー(年間最高試合賞)に選出されたが、アリは試合前にジョーンズを6RでKOすると公言していたため、試合後に新聞からバッシングを浴びた。 1964年2月25日、WBA・WBC統一世界ヘビー級王者のソニー・リストンに挑戦。当時史上最強のハードパンチャーと評価されたリストンに対しアリは絶対不利と言われ、賭け率は7対1でリストンが優位だった。しかしアリは臆せず「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と公言。試合は一方的なものとなり、6R終了時にTKO勝ちとなった。アリは試合終了後のインタビューで「I must be 'The Greatest'!」と興奮冷めやらぬ様子で叫んだ。試合後アリは正式に本名をカシアス・クレイからモハメド・アリへと改名した。
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