プロ化・クラブチーム化の流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:26 UTC 版)
「実業団」の記事における「プロ化・クラブチーム化の流れ」の解説
アマチュアスポーツからの脱却によるプロ化・クラブチーム化の流れがあるが、この底流として1980年代以降、当時の国際オリンピック委員会 (IOC) 会長のフアン・アントニオ・サマランチが推し進めた「オリンピックの商業化」によるプロ選手出場の容認があり、この流れの進展により、「オリンピックに出場できない」ことを気に病む必要のなくなった社会人スポーツ各種目の協会・リーグが徐々に契約選手を容認するようになった。競技人口の多いスポーツにおいては、プロリーグへの移行がなされていったが、従来の実業団リーグからの形態の変更には課題も少なくなく、この点においてもっとも悲劇的な経過をたどったのはバスケットボールであり、プロリーグ構想が頓挫し、2000年代以降プロリーグ(bjリーグ)と実業団リーグ(JBL)が分裂した結果、2014年以降日本バスケットボール協会が国際バスケットボール連盟から資格停止を受けるという憂き目に遭っている。バレーボールでは1994年に完全プロ化を目指したプロリーグ構想があったものの、チームの大半を占める実業団の母体企業からの賛同を得られず凍結された。1994年に開始されたVリーグではプロチームの加入も可能であったが新規のクラブチームは廃部した実業団選手やスタッフの受け皿としての創設が多く、経営も不安定になりがちなため活動を休止したチームも多い。その後もプロ化を模索していたが実業団側からの反発もあり2018年から始動したV.LEAGUEではプロ化を目指すチームも受け入れる相乗り形式でスタートしている。しかし初年度では男子は半数、女子は大半が実業団である。またクラブチームも東京ヴェルディバレーボールチームのように選手は生計を立てるための仕事を持つ兼業選手というチームも多い。
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