プロ化の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:49 UTC 版)
1870年代に入ると、プロの契約を結ぶ選手も現れはじめた。アフリカ系アメリカ人最初のプロ野球選手となったバド・ファウラーは、1878年にマイナーのインターナショナルリーグに登場し、マサチューセッツの球団で活躍した。メジャーリーグでは、1884年にトレド・ブルーストッキングスに在籍したモーゼス・フリート・ウォーカー、ウェルデイ・ウォーカーの兄弟が「アフリカ系アメリカ人最初のメジャーリーガー」とされているが、近年の研究では、その5年前の1879年にプロビデンス・グレイズから出場したウィリアム・エドワード・ホワイトがアフリカ系アメリカ人として最初にメジャーリーグに出場した選手ではないかといわれている。 1885年には、ニューヨークのホテル従業員によるチームだったバビロン・ブラック・パンサーズが「キューバン・ジャイアンツ」と改名し、アフリカ系アメリカ人による最初のプロ野球チームとなった。同じ年にフロリダ州では、アフリカ系アメリカ人チーム10球団を集めた「サザンリーグ・オブ・ベースボーリスツ」というリーグが創設されたが、運営上の問題から1年しか存続しなかった。その後1887年には「ナショナル・カラード・ベース・ボール・リーグ」という9球団からなるリーグも組織されたが短命に終わっている。 同じ1880年代後半は、シカゴ・ホワイトストッキングスのキャップ・アンソンが、有色人選手の居るチームとのエキシビション・ゲームを拒否した例など、メジャーリーグやマイナーリーグからの有色人選手排斥の流れが強まり、アフリカ系アメリカ人選手は1900年頃までにはメジャーやマイナーリーグから姿を消してしまった。
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