プロ入りで別の道を歩む
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:07 UTC 版)
「KKコンビ」の記事における「プロ入りで別の道を歩む」の解説
高校卒業後の進路は、プロ野球ファンのみならず世間の注目を大いに集めた。1985年11月20日開催のドラフト会議を前に、清原はプロ入りを志望し、王貞治が監督の読売ジャイアンツへの入団を熱望していた。桑田は大学進学志望で、ドラフト会議4日後の11月24日に早稲田大学教育学部の入学特別選抜試験を控えていた。ドラフト会議にて清原は日本ハム、南海、近鉄、西武、中日、阪神の6球団が1位指名で競合し、抽選の結果、西武が交渉権を獲得した。進学志望の桑田は巨人が1位指名し競合球団がなく交渉権を獲得した。その後両者とも指名球団に入団した。 詳細は「KKドラフト事件」を参照 清原はプロ入り1年目から日本球界の新盟主となりつつあった西武の4番打者となり、1986年度のパ・リーグ新人王を獲得する。一方、桑田は遅れること1年、2年目の1987年にチーム最多の15勝をあげ、最優秀防御率を獲得し19歳の若さで巨人を優勝に導いたエースとなった。2人はプロ野球でも巨人・西武というセ・パ両リーグを代表するチームの中心選手として長く活躍し、オールスターゲームや日本シリーズでの対戦がKK対決としてファンの注目を集めた。
※この「プロ入りで別の道を歩む」の解説は、「KKコンビ」の解説の一部です。
「プロ入りで別の道を歩む」を含む「KKコンビ」の記事については、「KKコンビ」の概要を参照ください。
- プロ入りで別の道を歩むのページへのリンク