フランデレン人ジャック・ブレル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 01:14 UTC 版)
「ジャック・ブレル」の記事における「フランデレン人ジャック・ブレル」の解説
娘のフランス・ブレルは、父親について「典型的なフランデレン人でした」と述べた。彼女は続いて「規律と勤労を重んじ、いつも几帳面で…。それはもうあらゆる意味で私たち一家はフランデレン人そのもの。父はそれを誇りに思っていました」と述懐した。この娘の言葉通り、ジャック・ブレルは自らをフランデレン人歌手だと表明していた。その心情は、田舎臭さを揶揄するコミックソング"Les Flamandes"のようなものもあるが、"平野の国 (Le Plat Pays)"、"マリーク (Marieke)"、"オスタンドの女 (L'Ostendaise)", "子供の頃 (Mon père disait)" といった曲で歌ったフラマン人やフランデレン地域への愛情が顕著に見られ、反動としてフランス・ナショナリズムを嫌った。だが、のちにフランデレン民族主義(フランデレン分離独立主義)に対してはあからさまな嫌悪を隠そうとせず、1967年発表の"La, la, la"では"Vive les Belges, merde pour les flamingants"(「ベルギー人万歳、フランデレン分離独立主義者どもクソ食らえ」)と辛辣にこき下ろし、1977年の"エフ (Les F...)"の中ではフランデレン民族主義者を"Nazis durant les guerres et catholiques entre elles"(「戦争の時にはナチス、そうでないときはカトリック」-教条と暴力を使い分ける節操のない連中)と痛烈に批判した。そのため極右勢力に目をつけられる結果ともなった。 フランデレン地域とワロン地域の対立について、「もし私が王ならば、半年の間すべてのフランデレン人をワロンへ、すべてのワロン人をフランデレンへ移住させるだろう。それは兵役のように、家族とともに。そしてそれは、私たちが抱える民族なり言葉なりの問題を一気に解決するだろう。何故なら、誰もが歯が痛むときは同じように痛み、母を敬愛するに同じように愛し、ホウレンソウを好きか嫌いかも同じ。彼らはこのような普遍的なものに気づくだろうから。」と語ったことがある。 ジャックはフランスを「魂の故郷」と呼び、生まれ育ったベルギーについては反駁の態度を示したが、"Le plat pays"や"Il neige sur Liège")など高い評価を得る詩の中には、ベルギーに対する彼なりの賛辞が垣間見られる。
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