フィクション中における体系化の是非
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 16:37 UTC 版)
「魔術」の記事における「フィクション中における体系化の是非」の解説
フィクションの創作にあたっては、作中の魔法の動作原理を定義付け、体系化することは、想像上の不可思議な力である魔法の神秘性を損なうものと考える者もいる。それとは逆に、魔法の原理を定義することは、作品のリアリティと独自性を生み出す重要な要素であるという考えもある。 前者はエブリデイ・マジック的な作品に、後者はロールプレイングゲームやアクション性の強い作品などによく見られる。前者は「不思議」を不思議であるがままに受け入れるテーマから、後者はゲームとして運用していく際の必要性や、魔法の描写や作中世界の奥行きを増すためと考えられる。 近年ではファンタジー作品において、魔法の法則や整合性のみで作品の優劣を語り、体系化されていない作品を非難する人々は「ファンタジー警察(Fantasy Police)」と揶揄されている。このような現象はダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)などゲームシステムのために体系化した作品が影響していると、D&DファンでもあるN・K・ジェミシンが指摘している。 娯楽作品での魔法の動作原理は様々であるが、作中では以下のような動作原理がよく用いられている。 個人の空想や願望を、そのまま具現化させる魔法 聖霊や神の力の一部を発現させる、「奇蹟的要素」の高い魔法 “マナ”や“オド”などの名称が付された、特殊な性質を有する「仮想の物質(エネルギー)」に、呪文などの手段で働きかける魔法 「高レベルの科学」により、世界法則を書き換える技術を指す魔法
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