ファイファーの追放
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 06:50 UTC 版)
1998年夏、コンパックは製品品質問題に悩まされることになった。またファイファーは、ローゼンが次期社長候補となる人物をリクルートすべきだとした提案を拒絶した。ファイファーが最高財務責任者のアール・メイソン、上級副社長のジョン・ローズ、人事担当重役のハンス・ガッチの3人だけを重用したため、取締役会には不満が広まっていた。 1999年4月17日、四半期の利益が大方の予想の半分になるという発表の9日前、ベン・ローゼンの根回しによってファイファーはCEOを解任された。伝えられるところでは、4月15日に開催された特別取締役会でファイファー解任に異論は出なかったという。ファイファーの在任中の6回の四半期のうち3回で会社の売り上げや利益が予想を裏切った。ライバルのデルは1999年第1四半期のアメリカでのPC売り上げが55%も伸びたが、コンパックは10%だけだった。ローゼンはインターネットによってもたらされた変化にコンパック経営陣がついていけていないのではないかと示唆し、「インターネット時代を迎えて産業が変化しており、インターネットの速度を追随するように組織的柔軟性を持たなければならない」と述べている。ファイファーは声明で「1983年に入社して以来、コンパックは長い道のりを歩んでおり、ベンの指導の下でこの会社はその可能性を実現するだろうと信じている」と述べた。ローゼンはコンパックの電子商取引の競合他社と肩を並べるようにすることを第一とし、同社の優柔不断さを改善して経営を効率化することに務めた。 ローゼンは暫定CEOを兼任し、間もなくファイファーに近かった多くの重役を辞任させる「大掃除」を開始した。ジョン・ランドーは上級副社長でサービス事業部長で、ファイファーの後継者と目されていた。彼の部門は1年前の同四半期で比べると1億1300万ドルから16億ドルへと躍進していた。CFOのアール・メイソンはPC以外の業界で会長職の打診があり、それを受けてコンパックを辞めた。ジョン・ローズはエンタープライス・コンピューティング部門のトップだが、その部門は売り上げは全体の3分の1を占め、利益も大きな部分を占めていた。彼らはいずれも辞任した。 ローゼンはファイファーの後任として、これまでCIOを務めていたマイケル・カペラス(英語版)を選んだ。カペラスが社長兼CEOとなって数カ月後の2000年9月28日、ローゼンが会長を引退し、カペラスが会長も兼任することになった。
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