ファイフの路線群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 01:45 UTC 版)
「ノース・ブリティッシュ鉄道」の記事における「ファイフの路線群」の解説
ファイフの西側では、初期の鉱物資源採掘から数多くの資源輸送鉄道が設立され、またダンファームリン周辺の短い鉄道群も設立された。これらが合併してウェスト・オブ・ファイフ・ミネラル鉄道が設立され、この会社は1862年にノース・ブリティッシュ鉄道に吸収された。 1862年のエディンバラ・パース・アンド・ダンディー鉄道の買収により、ノース・ブリティッシュ鉄道はソーントンから石炭が豊富な地域を通過してダンファームリンに至る路線を手に入れた。エディンバラ・アンド・グラスゴー鉄道をノース・ブリティッシュ鉄道が買収した際に、スターリングからダンファームリンへアロアを経由する路線も手に入れ、さらに西ファイフ炭田の路線群を統合していった。大部分の石炭は、バーンタイランドへ運ばれてそこから輸出されるか市場へ向けて沿岸航路で運ばれた。バーンタイランドはフェリー用の港として開発されたが、急速に輸出用に使われるようになり、ファイフでももっとも重要な港湾となった。 ファイフの東側では、初期の頃から漁業と農業に対応して鉄道が発達した。資源の開発はそれに続くもので、後に極めて重要なものとなった。独立会社のセント・アンドリューズ鉄道(英語版)がルーカーズから分岐して1852年に開業した。リーブン・アンド・イースト・オブ・ファイフ鉄道は、2社の鉄道の合併で形成され、ソーントンからリーブンおよびアンストラザーを結んでいたが、しばらくの間満足な港湾連絡を持たなかった。両社は非常に安く建設され、それが建設費用を調達する助けとなったが、摩耗した線路の更新費用を賄えないままで、1877年にノース・イースタン鉄道に吸収されることに同意した。この両者の間にある農業地帯は、アンストラザー・アンド・セント・アンドリューズ鉄道が横断したが、自社単独で運営を継続できなくなり、1883年にノース・ブリティッシュ鉄道に合併した。 東ファイフでの石炭生産量が増大したため、それまで鉄道がなかった場所にも炭鉱が開設されたが、ノース・ブリティッシュ鉄道は炭鉱所有者の要望に敏感に反応しなかった。この不満が、この地域の地主であるウィームス家が独立して建設したウィームス・アンド・バックヘイブン鉄道(英語版)であった。この鉄道はソーントンでノース・ブリティッシュ鉄道に接続した。東ファイル炭田のすぐそばにあるリーブンとメトヒルには港があったが、ノース・ブリティッシュ鉄道はバーンタイランドへ石炭を輸送することに満足しており、これが不満を招いてメトヒル港を独立して開発する動きにつながった。ノース・ブリティッシュ鉄道はこの動きに不承不承従い、1889年にウィームス・アンド・バックヘイブン鉄道を買収し、またメトヒル港の開発を行った。
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