ヒマラヤの探検
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 06:10 UTC 版)
「ファニー・ブロック・ワークマン」の記事における「ヒマラヤの探検」の解説
メイソンに拠ると、ワークマン夫妻が制作した多くの本と記事は「今でも有益」であり、特に写真やイラストが有益だが、地図の方は「嘘があり、常に信頼できるとは言えない」としている。ある評価では、ワークマン夫妻が気象条件、氷河学、さらに高高度が人体とその適合性に如何に影響するかを述べているところは優れているが、地形の記述がお粗末だと言っている。ワークマン夫妻は、ヒマラヤ山脈が登山に挑戦する究極の場所であり、その探検が、登山というものを体力を使うレクリエーションから、真剣な調節された競いあうスポーツに変革させたことを理解した最初期の登山家である。イッサーマンとウィーバーに拠れば、「ワークマン夫妻は、誰も疑うことができない大胆な探検家であり登山家であるが、世間に認知され名誉を得ることに熱心であったために、彼らのなしたことの独創性や重大さを過大に言うことがあった積極的な自己宣伝者でもあった」としている。イッサーマンとウィーバーはその最終的評価の中で、「彼らは当時のだれよりも多くの距離を歩き、多くの山に登った。彼らは豪華にイラストを入れ広く読まれた遠征記5巻を制作した。ファニーは女性という単純な徳によってもちろん、ヒマラヤの貴重な先人となった。しかし、ワークマン夫妻は、偉大な登山家ではなかった。かれらのベストであっても、そのイタリア人ガイドが苦労して得たステップの跡を上手に従った活発で能力あるパトロンだった」と言っている。しかし、ポーリーはワークマンに関する章で、「ファニー・ワークマンに関する最近の証言が幾つか、彼女の業績を軽視し、あるいは小さく見せる傾向にあるが、遥かに大きな業績が来ることに気付いていなかった同時代の者達はワークマン夫妻に高い敬意を抱いている。」と記している。彼らはヒマラヤ山脈を深く探検した最初のアメリカ人であり、それまでヒマラヤ登山でイギリス人の独占であった状態を破った者である。
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