ヒトラーの懐柔
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「ヨーゼフ・ゲッベルス」の記事における「ヒトラーの懐柔」の解説
しかしゲッベルスの才能を買っていたヒトラーは、この会議後、ゲッベルスが自分から離れぬよう気をかけた。1926年3月終わりにはヒトラーから電信を受けて4月8日にミュンヘンのビュルガーブロイケラーの集会で演説することになった。ゲッベルスはこの時のミュンヘン訪問について日記にこう書いている。「ヒトラーから電話があった。挨拶したいということだった。カフェから電話する。15分で彼はここに着く。背が高くて健康的で、闘志満々のヒトラー。僕は彼が好きだ。バンベルクのことがあったので、彼の親切はどうも面映い。彼は午後のため自分の車を回してくれる。」「車でビュルガーブロイへ。ヒトラーはすでに来ている。心臓が破れんばかりに高鳴る。ホールに入る。歓声で迎えられる。超満員。シュトライヒャーが口火を切る。それから僕は二時間半しゃべりにしゃべった。聴衆、狂乱、絶叫。終わるとヒトラーが僕を抱きしめてきた。彼の眼には涙が光っていた。とても熱いものが込み上げてきた。」(1926年4月13日付け)。「昨日ヒトラーと会う。すぐ食事に誘われた。彼は若い魅力的な女性を連れていた。楽しい夜。僕は車で一人で帰らねばならなかった。今朝10時、ヒトラーに誘われる。僕は花を持っていった。とても喜んでくれる。それから二時間、東西の問題を討議する。彼の議論には感嘆せずにはいられないが、ヒトラーはロシア問題を十分に理解しているとは思えない。僕もいくつかの点を考え直さねばならない。」(1926年4月16日付け)。 ヒトラーは巧妙にゲッベルスの心を支配していった。ゲッベルスの中でヒトラーの存在が大きくなるにつれてゲッベルスは急進的な社会主義思想を修正するようになり、ヒトラーの保守主義に理解を示すようになった。またゲッベルスはミュンヘンでの歓待ぶりに比べてエルバーフェルトでは自分はまったく尊重されていないとも感じるようになっていた。ゲッベルスの日記にはこのように記述してある。「ここ(エルバーフェルト)では誰も僕を気にしない。まるで僕が何も仕事をしていないかのようだ。」「シュトラッサーの所へ行く。彼は僕がミュンヘンと妥協しかけているんじゃないかと疑っている。そんなばかばかしい考えは捨ててしまえと言っておいた。」(6月10日付)。「管区全体がカウフマンの怠慢のために腐りきっている。どうしてこのような暴徒の集団がドイツを解放できるのか。僕の唯一の望みはヒトラーが僕をこのヤクザ集団から救い出し、ミュンヘンへ連れて行ってくれることだ。」(6月12日付)
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