パンダ保護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 01:24 UTC 版)
子供の頃、叔父がアメリカからのおみやげにパンダのぬいぐるみを持って帰ってきたことをきっかけにパンダの研究を始めた。パンダの研究は70年以上に及び、日本パンダ保護協会名誉会長を務めている。 黒柳がテレビ出演をするようになってからは、当時日本では知られていなかったパンダを紹介した。そして、黒柳の尽力もあって1972年には、日中国交正常化の記念に2匹のパンダ「カンカン・ランラン」が日本に初上陸。上野動物園に展示され、一大パンダブームが起こった。 黒柳は「日中の国交が回復したので、パンダをお願いして欲しい」と首相官邸に電話をしようと思っていたという。また、パンダ初来日の日には、仕事のリハーサルを抜け出して上野動物園の裏口でパンダを乗せたトラックの到着を長時間待っていたが、パンダはコンテナの中で外からは全く見ることが出来なかった。さらに、それを中継していたニュース番組に、見学している黒柳の姿が映った、というエピソードがある。また、1986年に初めてパンダの名前の公募が始まった際は、当時の鈴木俊一東京都知事とともに選考委員を務めた。 長年に亘るジャイアントパンダ保護活動への功績から、四川省の成都パンダ繁育研究基地より、今年生まれたパンダの命名権が初めて無償で与えられたことが2012年9月放送の『世界・ふしぎ発見!』内で伝えられた(通常は一定金額の寄付などで期間限定の命名権が与えられる場合がある)。2012年に命名式が行われた。
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