バーレーン・メリダを率いて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 01:29 UTC 版)
「ヴィンチェンツォ・ニバリ」の記事における「バーレーン・メリダを率いて」の解説
新チームバーレーン・メリダのエースとして移籍。連覇を懸けて臨んだジロ・デ・イタリアではクイーンステージである第16ステージでミケル・ランダとのマッチスプリントを制してステージ優勝。このステージで総合首位だったトム・デュムランが雉撃ちによる大ブレーキを余儀なくされ、デュムランとのタイム差2分を一気に縮めることに成功。第19ステージのピアンカヴァッロの登りでデュムランが遅れたため総合首位はナイロ・キンタナに移動。キンタナとのタイム差を最小限に保ちつつ第21ステージの個人タイムトライアルを迎える。キンタナとのタイム差は39秒で、ニバリの実力ならば逆転可能なのだが、デュムランに対するキンタナのリードは1分もなかった。デュムランはステージ優勝したヨス・ファン・エムデンに続くステージ2位でフィニッシュし、キンタナとニバリはデュムランに押し出される形でそれぞれ1つずつ順位を下げた。 ツールをパスして臨んだブエルタでは、第3ステージで優勝。その後は堅実な走りに徹し、レース中盤で総合2位に浮上。逆転総合優勝を狙った第20ステージではアングリルの前の峠の下りで落車。メイン集団には追いついたものの、落車の影響でじわじわ離されていく。そして、総合首位クリス・フルームの先行を許してしまい、総合2位となった。しかし、ジロ・ディ・ロンバルディアではその雪辱を果たすプロ通算50勝目をあげた。 2018年、迎えた春の大一番・ミラノ〜サンレモでは、2008年大会のファビアン・カンチェラーラ以来の同大会における独走勝利を収め、ショーン・ケリーに続くロンバルディア・サンレモの連続優勝を成し遂げた。 2年ぶりの出場となったツール・ド・フランスでは、大会序盤の落車や石畳区間を無難に乗り切り総合成績でも一時4位につけていたが、第12ステージに登場したラルプ・デュエズの登りで観客と接触し落車。ステージは完走したものの骨折が判明しリタイアとなった。 2019年、ジロ・デ・イタリアでは優勝候補の一角と目されていたが、リカルド・カラパスに次ぐ総合2位の結果に終わった。続いて出場したツール・ド・フランスでは総合優勝争いに絡むことこそなかったが、荒天のため短縮された第20ステージで逃げ切り、ミラノ〜サンレモ以来1年4カ月ぶりの勝利を挙げた。
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