ハルによる外交交渉終了宣言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:24 UTC 版)
「ハル・ノート」の記事における「ハルによる外交交渉終了宣言」の解説
暫定協定案の放棄とハル・ノートの提示について、11月27日付のヘンリー・スティムソン陸軍長官の日記には次のようにある。 「今朝まず第一に、私はハルを電話口に呼び出して、日本との交渉の最後はどうなっているか、すなわち、われわれが二、三日前に意見を述べたあの新提案を日本に手渡したかどうか、あるいは、ハルが昨日いっていたように、いっさいを断念したかどうか、これらの点を聞き出した。ハルはそれに答えて、「私はそれから手を引いた。いまやそれは君とノックスとの手中、つまり陸海軍の手中にある」とつけ加えた。そのあと私は大統領を電話口に呼び出した。大統領は私に向って、すこし違う意見を述べた。大統領は、日本は打ち切ったが、しかし、日本はハルの準備した立派な声明によって打ち切ったのだと言った。これは事柄の再開でなく、米国の不変の原則的立場の声明であったことを、私はあとで知った」 27日、ルーズベルト大統領は、現地指揮官に「最後的警戒命令」を発出するというスティムソンの提議に同意した。まずフィリピン、ハワイ等の陸軍司令官に「対日交渉は、日本が再び会談継続を提案する可能性だけを残して、すべての実質的目的を終えた。日本の将来の行動は予断できないが敵対行動はいつおこるかわからない」との警戒命令が出され、次いで太平洋艦隊及びアジア艦隊に対しては「日米交渉はすでに終わり、日本の侵略的行動がここ数日以内に予想される」との「戦争警告」が発せられた。 さらに28日の軍事会議では、日本軍の南進について議論があり、特に日本軍がクラ地峡に進出すればイギリスは戦うであろうこと、もしイギリスが戦えばアメリカも参戦せねばなるまいということで意見が一致した。 29日、ハルは駐米イギリス大使のハリファックス卿に次のように告げた。「日米関係の外交部門は終わった。今や問題は陸海軍の手に移った。私の意見では、今や全面的に更新された日本の征服計画は、多分のるかそるかの賭けだろうから、極度の大胆さと冒険を必要とするに違いない。…彼らは独ソ戦の成り行きにはたいして注意を払わずに、死に物狂いに企図を進めるだろう」。
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