ハルの加入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 04:07 UTC 版)
1972年1月頃には、WHAは元NHLのバーニー・ペアレントら若干の有力選手を含む多くの選手を擁したが、その大半はマイナーリーグや学生リーグの選手で構成されていた。故にこの新リーグはNHLに対して大きな脅威とはならないと見られていたが、当時NHLでもトップ選手と目されていたボビー・ハルの移籍が決まると、この見方に変化が現れた。 ハルは最初はWHAへの移籍をNHLシカゴ・ブラックホークスとの交渉戦術としか考えておらず、記者たちに対し、当時は一選手に対する年俸としては馬鹿馬鹿しいと考えられた金額を持ち出し「100万ドルくれるならWHAに行くよ」といった旨を冗談めかして語った。しかし驚くべきことにウィニペグ・ジェッツはこの条件を飲んだため、ハルは移籍を受諾するに至った。ハルの契約条件は、5年間で100万ドル、さらに契約金として100万ドルとも伝えられている。このハルの契約に刺激されWHA入りを表明したNHLの有力選手には、ジェリー・チーバーズ (Gerry Cheevers) 、デレック・サンダーソン (Derek Sanderson) 、J・C・トレンブレー (J. C. Tremblay) らがいる。 WHAの公式戦初試合は1972年10月1日にオタワシビックセンターのアルバータ・オイラーズ対オタワ・ナショナルズ戦であり、オイラーズが7対4で勝利を収めた。試合の水準は予想どおりNHLに及ばなかったともいわれるが、WHAにおいてはNHL経験が少ない若しくは全くない選手からも数多くの人気選手が輩出された。初年度のリーグ優勝を飾ったのは、ニューイングランド・ホエーラーズであった。なお、優勝杯は後にメインスポンサーのAvco Financial Servicesにちなんでアブコワールドトロフィと名付けられた。
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