ハリエット・スミスソンとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 18:20 UTC 版)
「エクトル・ベルリオーズ」の記事における「ハリエット・スミスソンとの関係」の解説
ベルリオーズは生まれながらにロマンティックで、幼少の頃からすこぶる感受性が強かったと言われている[誰によって?]。これは、ウェルギリウスの数節で涙したという少年時代や、長じてからは一連の恋愛関係に明らかである。23歳の時の、イギリスから来たシェイクスピア劇の劇団の女優でアイルランド人のハリエット・スミスソンへの片想いは、やがて『幻想交響曲』の着想へと膨らんだ。この作品の初演と同じ1830年にローマ大賞を受賞する。 スミスソンに最初こばまれると、ベルリオーズはマリー・モークと婚約するが、モークの母は娘をピアニストでピアノ製造家のカミーユ・プレイエル(英語版)に嫁がせた。ベルリオーズはその頃、ローマ大賞の賞金(奨学金)を得てローマに留学中であった。『回想録』によれば、この時パリに引き返し、女中に変装してモーク母子を殺害し、自殺を図ろうと企んだが、ニースにたどり着くまでに女装用の服を紛失したため気が変わった。 ベルリオーズの手紙は、スミスソンにはあまりに情熱的に過ぎると映ったために、彼女は求愛を断ったのであるが、こうした感情によって引き起こされたといわれる『幻想交響曲』は、驚異的で斬新であると受け取られた。この標題音楽的な作品の自叙伝的な性格もまた、当時としてはセンセーショナルなものと見做されたであろう[要出典]。ローマの2年間の修行時代を終えてパリに戻ると、スミスソンは『幻想交響曲』の演奏を聴きに来た上、ついには結婚に至った。スミスソンは馬車から落ちて重傷を負ったこともあって、女優として下り坂にあったことも理由であろう[要出典]。 しかしながら2年もすると、2人の関係はたちまち冷え込んでいった。さまざまな理由が挙げられているが、中でも言葉の壁が大きかったと推測されている[要出典]。また他には、ベルリオーズはスミスソンを一人の女性として彼女の人間性に惚れたのではなく、彼女が演じる役(「ロミオとジュリエット」の「ジュリエット」等)に惚れたために、彼女と結婚して彼女が普通の女性である事に気がつき、失望したのだとする説もある[要出典]。2人は1841年頃から別居し、1854年に彼女が亡くなると、すでに同棲していた歌手のマリー・レシオと結婚する。
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