ハリエット山の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:51 UTC 版)
「フォークランド紛争」の記事における「ハリエット山の戦い」の解説
ハリエット山の攻略を担当したのはイギリス海兵隊第42コマンドー(指揮官ニック・ヴォークス少佐)であった。同山のアルゼンチン軍陣地は非常に堅固であるように認められたことから、ヴォークス少佐は正面攻撃を避けて迂回攻撃を行うことにした。すなわち、1個中隊で西側から陽動攻撃を行う一方、2個中隊を南側に進出させて後方から奇襲攻撃するという作戦であった。 まず偵察小隊が先行したのち、16時15分より迂回行動が開始された。この間第7コマンド砲兵中隊や艦砲による射撃が行われていたこともあって、迂回行動は成功し、22時より予定通り攻撃を開始した。この迂回攻撃はアルゼンチン軍の予備兵力を直撃し、不慣れな夜間戦闘だったこともあり、経験のない徴集兵は降伏しはじめた。ロングドン山と同様、重機関銃座や暗視装置を備えた狙撃兵陣地は頑強な抵抗を示し、一部では600メートル前進するために数時間かかる状況もあったが、夜明けまでにはイギリス軍の勝利となり、イギリス軍2名戦死・13名負傷という比較的軽微な損害で、アルゼンチン軍に対して、10名戦死・53名負傷・300名以上が捕虜になるという戦果をあげた。これはヴォークス少佐の独創的な作戦によってアルゼンチン側が戦意を喪失したところが大きく、また降伏しようとする兵士に対してアルゼンチン軍の将校・下士官が銃撃するのをみたイギリス海兵隊が、これらの将校等を積極的に攻撃目標としたのも理由のひとつであった。
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