ハドソン川越え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 23:44 UTC 版)
「ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社」の記事における「ハドソン川越え」の解説
20世紀初め、ニューヨーク・ニュージャージー両州間にはハドソン川を越える橋もくぐるトンネルもなかった。港湾公社の設立に先立って設計と建設が行われてきたホランド・トンネルは1924年に開通した。自動車の交通量が増加するにつれて、ハドソン川を渡る交通手段の需要はより高まっていった。債券を発行し、利益を上げることが許されているという特性を活かし、港湾公社は大規模なインフラ整備プロジェクトを実行・管理してきた。初期のプロジェクトには、スタテンアイランドとニュージャージーとを隔てる海峡、アーサー・キルへの架橋などがあった。そのプロジェクトの1つとして、スタテン島とエリザベスを結ぶゲーソルズ・ブリッジが架けられた。橋の名はパナマ運河建設の総指揮者であったアメリカ合衆国陸軍中佐(当時)、ジョージ・ワシントン・ゲーソルズにちなんでつけられた。並行してアーサー・キルの南端に架けられたアウターブリッジ・クロッシングは、港湾公社最初のトップであったユージニアス・H・アウターブリッジからその名を取っている。この2本の橋はいずれも1928年に完成した。1931年にはスタテン島とその北に位置するバイヨンヌ市とを結ぶバイヨンヌ橋が完成し、スタテン島とジャージーシティ方面とを結ぶ交通路が確立された。 アッパー・マンハッタンとフォートリー町とを結ぶジョージ・ワシントン・ブリッジは1927年に着工し、1931年10月に完成した。橋の建設プロジェクトは港湾公社の主任技術者オスマー・アマンの管理の下で進められた。橋は予定よりも早く完成し、また予算よりも低費用で済んだ。その2年後に大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトはニューヨーク港湾公社の効率の高さに感銘を受け、港湾公社をモデルにしてテネシー川流域開発公社をはじめとする各種の機関を創設していった。 1930年にはホランド・トンネルがニューヨーク港湾公社に移管された。ホランド・トンネルの通行料収入により、港湾公社の利益は格段に増加した。1930年代終盤になると、ホランド・トンネルの上流に、ミッドタウン・マンハッタンの38丁目・39丁目とニュージャージーとを結ぶリンカーン・トンネルの建設が始まった。1本目のトンネルは1937年に、2本目のトンネルは1945年に、そして長い交渉の末に建設された3本目のトンネルは1957年に完成した。
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