ハドソン湾会社への吸収合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 22:58 UTC 版)
「北西会社」の記事における「ハドソン湾会社への吸収合併」の解説
北西会社からは出資者のうち所有権の大きく豊かな者が将来を案じて去り始め、さらに結束を強化する役割を果たしていたサイモン・マクタヴィッシュ時代の縁故主義も腐敗し、会社の経費や士気を損ない始めた。 1820年には北西会社はビーバーの毛皮一枚に価値の等しい通貨を発行していた。しかし会社の存続が怪しくなり、株主たちは毛皮会社同士の敵対をやめるべしというイギリス軍事・植民地大臣 第3代バサースト伯爵ヘンリー・バサーストの命令に従い、犬猿の仲のハドソン湾会社との合併に合意せざるを得なくなった。1821年7月、イギリス領北アメリカにおける毛皮交易の新法を議会で通過させたイギリス政府による更なる圧力の下、ハドソン湾会社との合併合意への調印が行われ、北西会社は40年余りの歴史を閉じた。合併時点で新ハドソン湾会社は北西会社に属していた前哨97ケ所とハドソン湾会社に属していた前哨76ケ所を保有していた。
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