ハイナ島の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 13:54 UTC 版)
ハイナ島は、メキシコ湾岸を流れる海流がはこぶ堆積物によって、数千年かの時間をかけて形成された小さなマウンドがはじまりであったと考えられる。紀元前300年頃から入植が行われ、集落が形成された。その後の数十年間でこの集落は拡大され、数百年間にわたって、多くの岩や石灰岩を用いたsascabと呼ばれる一種の建材によって島の周囲を埋め立てることによって島の規模を拡大し、700年以上漁労や交易をおこなうひとつの中心的な基地のように使われてきた。現在では1平方キロメートルに達する島となっている。 ハイナ島については、名前の由来やユカタン本土の西側であることから、日が沈む場所であることと死の世界であることが関連しているとし、多くの研究者が共同墓地であるとしてきた。墓に埋葬されたのが誰であるかは、いまだにわからないものの、ジョセフ・ボールは、エズナかその周辺のチェネス地方ないしプウク地方の人々であろうと推察してきた。しかし、最近の調査の進展によって、古典期から後古典期前期に活発に活動していた集落に埋葬が伴っており、土偶が出土している埋葬は、そのような集落をなす家屋の地下に設けられていることが判明してきたため、ハイナ島に住んでいた人々によるものであると主張する研究者も現れてきている。共同墓地と考える研究者は、アメリカに多く、ハイナ島に住んでいた人々によるものであると考える研究者は、メキシコなど現地の研究者に多いように思われる。 ハイナ島では、5基の石碑と2枚の石板が発見されていて、652年の日付のみられるものと、854年の日付が刻まれているものとがある。石碑や石彫に刻まれているレリーフは、ペテン地方などの祭祀センターに見られる様式に比べて、動的な印象を与えることに注目する研究者もいる。 ハイナ島に人が住まなくなるのは、紀元1200年頃と考えられ、一定数の研究者が主張するチチメカ人がメソアメリカに大規模に侵入してきたとする時期とおおむね符合する。ハイナ島に住んでいた人々は、海岸地帯に移るか、ユカタン半島本土に新しい都市を建てるか、もともとあった内陸の都市に移り住むかしたのではないかと考える研究者もいる。
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