ネット打ち切り問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 16:14 UTC 版)
詳細は「高橋信三#エログロ排除路線」を参照 1期目の放送開始後、NETテレビ系列の関西地方のネット局で、金曜日に限り同番組を制作していた毎日放送(MBSテレビ)が、1971年12月3日に「番組が低俗だ」として、同番組のネット打ち切りを表明した。番組内容の低俗さを理由として放送番組のやりとりを停止したのは日本の放送史上初のことであった。 当時の社長・高橋信三が、「東京から発信される金曜日以外の放送内容に不適切な表現や未成年者に見せてはいけない過激すぎる、または不快感を与える箇所が多い」とし、卑猥な映像をMBSで放映することを嫌って、NETのネット受けを拒否する意向を示したという[要出典]。のちに当時の常務・吉村弘が衆議院逓信委員会放送に関する小委員会における参考人質疑で明らかにしたところによると、高橋の態度には「内容について、やはりそこに人権の尊重ということと、それから番組の品位ということを考えなくちゃいけない」「高年齢者の、十一時台を静かな時間として楽しみたいという人も対象にしたい」という考えが根底にあったという。また、お笑い路線を基調としたいMBS側と『11PM』に対抗してお色気路線を維持したいNET側との対立も根深かったという。 この番組が番組販売扱いで、ネットスポンサーが付いていなかったという事情も、迅速な打ち切り決定を容易にした。 MBSは1971年12月31日放送の「桂小文枝独演会」を最後にネットを打ち切り、制作からも撤退した。 なお、近畿地方では1972年10月から、サンテレビと、近畿放送(現・京都放送、KBS京都)に販売する形で、マイクロネットが開始された。
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