ネオ・フランセ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 07:49 UTC 版)
クノーの口語・俗語文体の構想は、話し言葉を書き言葉に、つまりひとつの文体に仕立て上げることで、その試みを「ネオ・フランセ(新フランス語)」と呼んだ。ネオ・フランセは、ギリシャ語における書き言葉(カタレウーサ)と話し言葉(デモティコス)の闘いから着想されたものであり、クノーは処女作『はまむぎ』以来のほとんどの小説でこれを実践し、練り上げた頂点に達する作品が『ザジ』であった。『ザジ』に見られるネオ・フランセの実践を通じて、クノーにはフランス語の新たな言文一致体を誕生させる意図はなく、規則によって縛り付けられた書き言葉に風穴を開け、言葉に可塑性を取り戻させることによって演劇性の獲得と異化効果を狙ったと考えられる。 例えば、「ムッシュ」の正しい綴は « monsieur » だが、『ザジ』においては発話の状況や会話の調子に応じて、実際の発音に近い « meussieu » や、あるいは自信のない様子や急いでいる場合に « msieu » といった表記が使い分けられている。また、小説の書き出しを « Doukipudonktan? » というアルファベットの羅列で始めており、これは « D'où qu'il pue donc tant »(「一体どこからこんな悪臭がしてくるのだろうか」)という一文を発音表記に変換・結合したものである。以降も、こうした音声のみを写し取ったような表記は頻出し、フランス語が無国籍化される。これにより、読者は一種の異様さ・暴力性を伴って目に飛び込んできた文をあらためて普通のフランス語に「翻訳」することを要求される。ネオ・フランセは、自らを透明にして現実と一体化するのではなく、逆に平凡な現実を言葉の自明性とともに解体する性格を持っている。
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