ニューフロンティア演説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 03:52 UTC 版)
「ニューフロンティア」の記事における「ニューフロンティア演説」の解説
アメリカにおけるフロンティア(未開拓地)は西部開拓が進み1890年には消滅した。しかし40分にわたるこの日の大統領候補指名受諾演説においてケネディは宗教問題から語り、そしてアメリカが直面する問題として、平和と戦争、無知と偏見、貧困と豊かさといった問題に「ニューフロンティア」という概念を再提示した。 「今晩私はかつて最後のフロンティアであったところに西に向かって立っています…開拓者たちは身の安全も快適な生活も、時には自分の命さえも捨ててこの地に新しい世界を築くためにやって来たのです…今日ではこうした戦いは終わった…アメリカのフロンティアは無いと言う人がいるでしょう…問題はまだ解決していません。」 「今日、我々はニューフロンティアに直面しています。1960年代のフロンティア、未だ知られぬ機会と道、未だ満たされぬ希望と脅威を孕んだフロンティア…私はあなた方の一人ひとりにこの新しいフロンティアの新しい開拓者となるように求めたい。」 「私は米国民に与えようとしているものでなく、求めているものである。プライドに訴えるものであり、財布に訴えるものではない。より大きな安全ではなく、より大きな犠牲の約束を差し出すものである。ニューフロンティアは、我々が求めようが求めまいが、ここにある。…公共利益か私的利益か、国の発展か衰退か、新鮮な進歩の空気か凡庸な陳腐の空気か…の選択を迫られているのである。」 「ソ連が将来のために現在を犠牲にしているのに、我々は現在を犠牲にできるでしょうか。それができなければ現在を享受するために将来を犠牲にしなければならない。」(注:後に日本では「ソ連は将来のために現在を犠牲にしている。我が国は現在のために将来を犠牲にしている」とも訳された。) 当時のアメリカは東西対立で冷戦のさなかにあり、ソ連の攻勢に追い上げられていた。3年前にスプートニク・ショックと言われたソ連の人工衛星打ち上げで宇宙開発の分野でソ連に先んじられ、やや停滞していたアメリカに、ニューフロンティアという言葉は新鮮に響き、当時目標を失っていた国民に明確な方向を与える言葉であった。 ケネディは1960年11月8日のアメリカ大統領選挙において共和党候補のリチャード・ニクソンを破り、翌年1961年1月20日に第35代大統領に就任した。
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