ニューブルートレインの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 15:44 UTC 版)
「ブルートレイン (日本)」の記事における「ニューブルートレインの登場」の解説
1970年、日本万国博覧会(いわゆる「大阪万博」)の開催に伴う輸送力確保のため、座席車として12系が製造される。この車両は、室内の冷暖房用として大容量のディーゼル発電機が採用されたが、臨時列車や団体専用列車に充当される前提のため、編成中の緩急車から供給する分散電源方式となった。また当時、既に20系以外の一部客車の塗色にも青15号の車両が存在したことへの差別化と、新幹線連絡のイメージから、車体色には0系電車と同じ、より鮮やかな青(青20号)の地色に、アイボリーホワイト(クリーム10号)の2条の帯が採用された。 この12系の設計をもとに新製された寝台車である14系は、20系車両までのB寝台の寝台幅52cmを踏襲せず、581・583系の寝台幅に合わせ、70cmが採用された。これにより20系との差別化が図られ、登場当時は"ニューブルートレイン"とも称された。外観も12系の塗色が引き継がれ、青20号にクリーム10号の帯2条となった。 以降、20系と同じく集中電源方式を採用した24系も、14系と同様の設計で製造される。またB寝台が2段化された24系25形、14系15形では、塗色は単に青1色となるが、白帯(クリーム10号)の替わりにステンレス製の帯が巻かれ、保守の面では一層の省力化が図られる。なお初期の14系と24系も、24系25形や14系15形と同様に2段式寝台に改修が行われるが、寝台の変更のみで更衣室が残るなどの差違が見られるものの、運用面での差違は(特にJRになってからは)少なくなっている。 この14系と24系は、車両構造においてサービス電源の方式以外は設計上類似した部分が多いことから、1980年代半ば以降より個室寝台などに改造を行うにあたり、14系と24系との間で車種変更が行われる事例が頻繁に見られるようになった。
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