ニッポン号と渡洋爆撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 14:30 UTC 版)
日本の陸上攻撃機は九六式陸上攻撃機(通称:中攻)でひとまずの完成を見る。 九六陸攻は、1世代前の戦闘機をしのぐ高速性能と、民間型の「ニッポン号」が1939年に毎日新聞社主催の世界一周飛行を果たしたほどの航続力を誇った。日中戦争では九州の基地から中国大陸への渡洋爆撃、さらには大陸沿海部から奥地重慶まで長駆の爆撃を行っており、これは世界初の戦略爆撃であった。ちなみにこの作戦では九五式陸上攻撃機(通称:大攻)も参加している。ただし同作戦では制空権を持たない空域を航続距離の問題から護衛機無し(その高速と長大な航続力は、護衛戦闘機の随伴が不可能という問題にもつながった)で、命中精度の問題から低空で進入しなければならず、迎撃に対しきわめて脆弱であった。ただし、防弾装備を施された諸外国の爆撃機ですら護衛戦闘機が無い状況では大損害を受けているという現実も考慮する必要がある。中国大陸で活動していた九六陸攻は中国軍の迎撃機に対し甚大な被害を被り「護衛機が無い状況であったこと」、「敵の戦闘機に対して速度的優位が無かったこと」、「防御火力が不足していたこと」が浮き彫りとなった。 一式陸上攻撃機(こちらも通称は中攻)を開発する際は、これらの戦訓により「防御火力の向上」「防弾装備の追加」「速力や高高度性能の向上」が取り入れられ、同時に護衛戦闘機には双発で長大な航続距離を持ち、重火力を誇る十三試双発陸上戦闘機の開発も進めた。護衛戦闘機に関しては結果的には単発である零式艦上戦闘機となった。
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