ニコルソンの勝利~視察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 08:58 UTC 版)
「戦場にかける橋」の記事における「ニコルソンの勝利~視察」の解説
小さな集落に辿り着いたシアーズは、さらに安全な場所を求めて、楽園のようであったその集落を去ることにした。現地人に提供された木造の船に乗り、意気揚々と漕ぎ出したシアーズであったが、瓶に入った水が底をついたため仕方なく川の水を飲んで腹痛を引き起こすなど、脱出は難航した。 一方、捕虜収容所では、ニコルソンが斉藤に呼び出された。3月10日の陸軍記念日を迎えるにあたって、その日をイギリス軍の祝日とし、ニコルソンを含めた将校全員を宿舎に帰すという恩赦まで与えるというのだ。さらに、将校は労役に就かなくてもよいとのこと。どうしても工事期限までに橋を完成させたい斉藤は、ニコルソンの主義に妥協することにしたのだ。宿舎から出てきたニコルソンの表情から彼の「勝利」を悟った捕虜たちは、一斉に彼の元に群がり狂喜した。その陰に隠れ、自らに与えられた任務を遂行するために、下の立場の者にひれ伏さざるを得ないという屈辱を味わった斉藤は、咽び泣くしかなかった。 かくしてニコルソンによる建設現場の視察が始まった。しかし、伍長が部下の人数すら把握できていないなど、長期間に亘って染み付いていた気の緩みは捕虜たちから軍人としての誇りを奪い、建設工事のサボタージュを大きく助長していた。もっとも、ニコルソンの思惑通り、イギリス軍の将校は揃って橋の建設に関する知識を豊富に持っており活発な意見交換がなされた。その中でニコルソンは橋の建設の目的を、日本軍にイギリス軍の知識と能率を見せつけるのと共に、捕虜たちに兵士としての誇りを取り戻させることに定めた。
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