トールキンによる言語の創造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/16 18:18 UTC 版)
「アルダの言語」の記事における「トールキンによる言語の創造」の解説
トールキンは古ゲルマン語派、その中でも古英語を専門とする文献学者であった。また、専門外の領域にも興味を示しており、とりわけフィンランド語には特別な感情を抱いていた。(he described the finding of a Finnish grammar book as "entering a complete wine-cellar filled with bottles of an amazing wine of a kind and flavour never tasted before", The Letters of J. R. R. Tolkien, number 163).フィンランド語の形態論、とくにその語形変化はクウェンヤ(エルフの言語の一つ)を生み出した。他にはウェールズ語も気にいっていて、その音韻がシンダール語(エルフの言語の一つ)に取り込まれた。多くの単語が現実の言語から借用されていたが、トールキンが仕事を進めるにつれて借用元を特定することは難しくなっていった。トールキンが存命の間にもエルフの名前や言葉の語源を探す試みがあったが、その多くは信憑性に乏しいものであった。 トールキンにとって言語の創造は生涯続いた趣味であった。13歳になったばかりのころにNevboshという最初の言語を造り上げ、亡くなる時まで言語を造り続けていた。また、言語はそれを話す人々の歴史なしでは不完全であるとトールキンは確信していたために、言語の創造は神話の創造と深いつながりがあった。英語を話す人々にとって架空の歴史を英語だけで想像しても、それは現実感のあるものとは言えない。それゆえにトールキンは、自らの作品に対して著者というよりは翻訳者、編集者としての姿勢をとった。
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