トルコ人ナショナリズムの高まりとクルド人に与えた影響
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「トルコ・クルド紛争」の記事における「トルコ人ナショナリズムの高まりとクルド人に与えた影響」の解説
崩壊寸前のオスマン帝国は、帝国を立て直すべく1820年代から中央集権化、近代化を推進した。しかし結局タンジマートをはじめとしたこれらの改革は実を結ばなかった。改革を強く推進していた官僚らはスルタンから支持を失うが、その後は青年トルコ人として活動を続けた。1908年には青年トルコ人革命が起こり、彼らによる政府が立ち上がる。このムーブメントにはクルド人も参加しており、政府の最初のメンバーには2人のクルド人も名を連ねていた。 トルコのナショナリズムを掲げた青年トルコ人によるオスマン帝国の改革は、一歩バルカン半島に足を踏み入れると反革命派の抵抗に会うようになりすぐに立ち行かなくなった。一方これらトルコ人のナショナリズム、バルカン半島のナショナリズムとの接触はクルド人に刺激を与え、青年トルコ人のムーブメントに並行する形でイスタンブールではクルド人のナショナリズムを掲げた組織がいくつか生まれている。青年トルコの活動に寄り添ったものの彼らからはあまりいい感触が得られなかったというのも、この時期にクルド人ナショナリズムが盛り上がりを見せた理由の一つに挙げられる。あるいは青年トルコ人の政府はイギリスに対抗させるために敢えてクルド人のナショナリズムを煽ったという報告もある。
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