デビュー - 全日本プロレス (2004 - 2010年)
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プロレスデビューは2004年12月19日。TNAではTVショーのTNA iMPACT!やPPV大会にも出場していた。 2007年6月、全日本プロレスにフィル・アトラスと共に留学生として来日、24日から始まったCROSS OVERシリーズで日本マットデビュー。道場で若手選手、練習生と共同生活をしていた。7月には武藤敬司からVOODOO-MURDERS(以下VM)退治のパートナーに抜擢。8月いっぱいで留学期間を終え、9月シリーズからは一外国人選手として参戦、10月18日の代々木大会では諏訪魔から勝利を奪う。さらに世界最強タッグ決定リーグ戦に武藤とのタッグで初出場し優勝を果たした。 2008年1月3日の後楽園ホール大会で、武藤と共に小島聡&TARU組から世界タッグ王座を奪取。3月22日の新潟大会では、タッグ戦ながら太陽ケアからも勝利を収めた。同年チャンピオン・カーニバルに初出場、西村修や前三冠王者の鈴木みのるから勝利を収めた。 5月11日、後楽園大会でVMのゾディアックと一騎討ちし、スパイラル・ボムで勝利。試合後、VMがドーリングの髪とゾディアックのマスクを賭けたリベンジマッチを要求し、これを受諾。5月25日の神戸大会でマスカラ・コントラ・カベジェラマッチで再戦し、その試合でも勝利した。 9月13日、GURENTAIとのキャプテンフォールイリミネーションマッチに出場。武藤らの攻撃が誤爆し退場となるときに本隊と不穏な空気を見せ、その後は特に異常な様子は見られなかったものの、最終戦でパートナーである真田聖也にレボリューションボムを食らわせてVM入りとなった。VM加入後はトレードマークの金髪とVMカラーの赤を混ぜ、世界最強タッグではゾディアックとの『ブードゥータワーズ』で出陣、勝ち点8と優勝決定戦進出を目前としていた。しかし、ゾディアックが急性腹膜炎で緊急手術となり棄権となった。
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