ディカルブ・アベニュー駅改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/13 01:56 UTC 版)
「BMT4番街線」の記事における「ディカルブ・アベニュー駅改良」の解説
ディカルブ・アベニュー駅の北と南にディカルブ・アベニュー・ジャンクション(分岐点)が位置しており、南側には4番街線とBMTブライトン線、北側にはマンハッタン橋の複々線とモンタギュー・ストリート・トンネルがつながる接続点となっている。1927年に、より長い列車に対応するためにディカルブ・アベニュー駅のプラットホームが延長された。このプラットホーム延長は駅の南側の曲線に伸ばされたが、1960年に駅の北側の直線区間にプラットホームを延長することで置き換えられ、南側の延長部は廃止となった。ディカルブ・アベニュー駅の北側には、エスカレーターを備えた新しい改札階が設けられた。この改札階からの出入口がフラットブッシュ・アベニューの両側、フリート・ストリートとウィロビー・ストリートへと設けられた。 1950年代半ばまで、一番外側の線路は4番街線緩行線であり、その1本内側がブライトン線であった。一番真ん中の線路はディカルブ・アベニュー駅のプラットホームに面していない4番街線急行線であった。駅の北側に設けられた平面交差の渡り線により、どの線からもマンハッタン橋の北側、南側、そしてモンタギュー・ストリート・トンネルへと列車を走らせることができるようになっていた。4番街線緩行線はまっすぐ駅の西側のマンハッタン橋に向かい、ブライトン線の線路はまっすぐモンタギュー・ストリート・トンネルへと通じており、両者の間の渡り線により列車はマンハッタン橋に向かうかトンネルに向かうかが決まっていた。これが4番街線とブライトン線の多くの列車の遅延の原因となっており、1952年にこの分岐点が改良工事の最優先課題に挙げられた。 1956年から1961年4月までの分岐点改良工事の間、ブライトン線の線路はディカルブ・アベニュー駅のもっとも外側の線路につながっていた。駅北側の渡り線がボトルネックとなっていたが、この改良工事により2か所の立体交差に置き換えられた。駅のすぐ北側にあったすべての分岐器が撤去された。分岐点からマンハッタン橋にかけては改築された。新しい立体交差を造る場所を生み出すために、1956年7月16日にマートル・アベニュー駅(英語版)は廃止となった。この駅の北行のプラットホームは、なおも通過中の列車から見ることができるが、南行のプラットホームは立体交差建設にあたって撤去された。1957年から1958年にかけて、新たな線路と分岐器がディカルブ・アベニュー駅南側に設置された:76。プラットホームも60フィート(約18メートル)車両の10両編成に対応するために全長がほぼ2倍となった。この分岐点の改良により、分岐点の線路容量が25パーセント上がったと推定されている。この改良によりマンハッタン橋を通る列車が増え、IND6番街線へ(そしてクイーンズやブロンクスのIND路線群へ)連絡する列車が増えることから、クリスティー・ストリート連絡線のプロジェクトもこの改良に連携したものであった。
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