ディエンビエンフーの戦い
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「第一次インドシナ戦争」の記事における「ディエンビエンフーの戦い」の解説
詳細は「ディエンビエンフーの戦い」を参照 1953年11月20日、カストール作戦(英語版)が実施され、ディエンビエンフーに3個空挺大隊が降下、同地を占領し12,000人の兵力と火砲が配備され、地上設備・空中補給および近接航空支援態勢が整えられた。 ベトミン軍はディエンビエンフー降下の一報が入ると、それまで分散配置していた4個師団の集結を決定。周辺の山岳諸民族と連携し隠密裏に陣地に大砲・食糧を運び込んだ。また小規模ゲリラ部隊を駆使して各地のフランス軍を拘束し部隊移動を秘匿した。 1954年3月13日、戦闘が始まるが、攻撃開始日からベトミン軍の猛烈な砲撃が加えられ、人海戦術により独立高地に設けた2個のフランス軍陣地は早々に陥落した。フランス軍は劣勢となり3月末には滑走路も使用不可能になった。4月、ハノイから3個空挺大隊の派遣と近接航空支援を増強したが、塹壕に篭るベトミン軍にはあまり効果がなかった。雨季の天候は空軍の活動を制限し、ベトミン軍の砲撃支援を受けた夜襲は次々と陣地を攻略していった。末期には周囲2kmの範囲のみをかろうじて保持するのみで、5月7日に陥落し生き残ったフランス兵は捕虜となった
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