テューダー朝の統治革命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/22 04:08 UTC 版)
「ジョフリー・エルトン」の記事における「テューダー朝の統治革命」の解説
エルトンの研究のおもな焦点はヘンリー8世に置かれていたが、その成果はエリザベス1世の研究にも大きく貢献した。 エルトンは、1953年の著作『The Tudor Revolution in Government』(「テューダー朝の統治革命」の意)において、トマス・クロムウェルが、それまでの中世的な宮内府統治に代わる、近代的な官僚制統治を創り出した、と主張したことで広く知られるようになった。この変革は、1530年代に起こったものであり、計画的に取り組まれた革命の一部であったと見るべきものである。エルトンによれば、クロムウェル以前のイングランド王国は、国王の私的な所領が大規模になったものでしかなく、その行政の大部分は、独立した国家行政府によらず、王の宮廷の廷臣が担っていた。1532年から1540年まで、ヘンリー8世の主要閣僚であったクロムウェルは、行政府の改革を行い、宮廷を国家から切り離して、近代的な官僚制の統治機構を創り出した。クロムウェルは、テューダー王朝の威光を王国の隅々にまで行き渡らせ、議会の役割と成文法の効力を、根本的に変革したのである。 一連の改革を主導したクロムウェルは、イングランドのその後の安定と成功の基礎を築いたとされる。エルトンは、こうした観点を、1955年の著書で、ベストセラーとなって3版を重ねた『England under the Tudors』や、1973年に『Reform and Renewal: Thomas Cromwell and the Common Weal』としてまとめられた、一連のワイルズ講演 (Wiles Lectures) の記録の中で、綿密に展開した。 エルトンの主張は、テューダー朝を専門とする歴史家たちから様々な批判を浴び、現在では最早、正統的な見解とは見なされなくなっているが、一連の論争におけるエルトンの議論は、テューダー朝の統治機構をめぐるその後の論争、特にクロムウェルが果たした役割についての論争に、深い影響を与えた。
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