ダライラマによるオイラトの首長に対する称号と印章の授与とは? わかりやすく解説

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ダライ・ラマによるオイラトの首長に対する称号と印章の授与

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 21:42 UTC 版)

オイラト」の記事における「ダライ・ラマによるオイラトの首長に対する称号と印章の授与」の解説

1620年代から1630年代半ばにかけてモンゴル南部内蒙古)の諸侯たちがダイチン国(daicin gurun, 清朝)に服属ていった際、残るモンゴル北部ハルハ)の諸侯たちは、 ダイチン国の王家愛新覚羅氏によるハーン(大ハン)位継承1636年)について、簒奪としてとがめることはせず、友好計りつつ自立をたもつこと。 オイラトとの積年抗争終止符をうち、オイラト対等立場講和し、同盟を結ぶこと。 チベットダライ・ラマ団結シンボルとして擁立推戴する。 などにより、ダイチン国の圧迫抗し自立を保つことを目指した。ハルハ各部首長たちは、ダライ・ラマから多数形容詞修飾したハン号やバートル号を、オイラト首長たちは、オイラト本国チベットそれぞれにおいて、ハンホンタイジジノンタイジ等の称号を受けるようになった。 ※オイラト本国では、ホシュートジュンガルトルグート首長たちが、交代順次ハン号を、ジュンガル部首長独占的にホンタイジ号をうけた。 オイラト本国における歴代ハン部族称号チベット語括弧内はモンゴル語時期トゥルバイフ ホシュート テンジン・チューキ・ギャルポ(シャジンバリクチ・ノミン・ハーン) 1637年 オチルト ホシュート セチェン・ギャルポ(シャジンバリクチ・ノミン・ハーン) 1666年 ガルダン ジュンガル ガンデン・テンジン・ボショクトゥ・カン 1678年 アユシ(アユーキ) トルグート ダイチン・アユシ・カン 1697年 オイラト本国における歴代ホンタイジ部族称号チベット語括弧内はモンゴル語在位ホトゴチン ジュンガル バートル・ホンタイジ 1637年 - 1653年 センゲ ジュンガル ホンタイジ 1653年 - 1670年 ガルダン ジュンガル ホンタイジ 1671年 - 1678年1678年から1696年までハーン) ツェワンアブタン ジュンガル エルデニ・ジョリクトゥ・ホンタイジ 1694年 - 1727年 ガルダンツェリン ジュンガル ホンタイジ 1727年 - 1745年 ラマダルジャー ジュンガル ホンタイジ 1750年 - 1752年 ダワチ ジュンガル ホンタイジ 1753年 - 1755年チベットでグーシ・ハーン一族ダヤン家(グーシ・ハーン長子ダヤン一族)が代々ハン号を独占的に継承しドルジ家(グーシ・ハーンの第6子ドルジ一族)、タシ・バートル家(グーシ・ハーンの第10子タシ・バートルの一族)が順次ホンタイジ号を授かった詳細グシ・ハン王朝参照

※この「ダライ・ラマによるオイラトの首長に対する称号と印章の授与」の解説は、「オイラト」の解説の一部です。
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