ダライラマとガンデンポタン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 06:32 UTC 版)
「中華人民共和国によるチベット併合」の記事における「ダライラマとガンデンポタン」の解説
1637年より42年にかけて、ダライ・ラマを信仰するグシ・ハンがチベットを征服、ヤルンツァンポ河流域が当時のダライラマ五世(1618-83,位1622−96)に寄進され、ダライラマの財務監(チャンズーパ)ソナム・ラプテンがデシーに任じられてその統治・管理にあたった。ガンデンポタンはこの寄進により、ダライラマ領の統治機関となった。ダライラマは、自身の財務監(チャンズーパ)であるデシーの任命権を保有したほか、チベット各地の諸侯に対してグシハン一族とともに所領の安堵を行い、ゲルク派寺院の人事権、その他の宗派の管長の地位の認定などをおこない、政治・宗教の権力・権威の頂点に立つようになった。さらにはハルハやオイラト本国、ダライラマ政権の樹立に貢献した青海ホショトをはじめとする青海オイラトなどチベット内外のモンゴル系王公たちにハン・ホンタイジ・タイジ等の称号を授与し、清朝もダライラマ五世が彼らに授与した称号をそのまま使用するなど、チベットの枠をこえ、チベット仏教圏諸国の権威の頂点に位置するようになった。 雍正のチベット分割ののち、清朝はタンラ山脈とディチュ河を結ぶ線の南方に位置する諸侯の支配権をあらたに「ダライラマに賞給」する一方で、この線の北方に位置するチベット人諸侯に対する領主権の認定権や青海オイラト人王公に対する称号の授与権などの制限をはかったが、ダライラマの宗教的権威はその後もおとろえず、チベット・モンゴルにまたがるチベット仏教界の頂点に位置しつづけた。
※この「ダライラマとガンデンポタン」の解説は、「中華人民共和国によるチベット併合」の解説の一部です。
「ダライラマとガンデンポタン」を含む「中華人民共和国によるチベット併合」の記事については、「中華人民共和国によるチベット併合」の概要を参照ください。
- ダライラマとガンデンポタンのページへのリンク