ダダの機関誌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 06:11 UTC 版)
『リテラチュール』誌はまもなくダダイスムの機関誌としての役割を果たすことになり、第1シリーズの後半には、詩人バンジャマン・ペレやジャック・リゴー(フランス語版)、詩人・劇作家のジョルジュ・リブモン=デセーニュ(フランス語版)、画家のテオドール・フレンケル(フランス語版)、ベルギーからクレマン・パンセルス(フランス語版)、ポール・デルメ(フランス語版)、イヴァン・ゴル(フランス語版)らのダダイストを中心とする詩人、作家、美術評論家、画家、版画家、彫刻家が参加した。 1920年5月の『リテラチュール』誌第13号は「ダダ宣言」号として刊行され、ブルトン、アラゴン、スーポー、エリュアール、リブモン=デセーニュ、ポール・デルメのほか、デルメと親しかったルーマニア生まれのダダイスムの作家セリーヌ・アルノー(フランス語版)、チューリッヒ・ダダに参加した彫刻家・詩人のジャン・アルプやドイツの作家ヴァルター・ゼルナー(フランス語版)、およびニューヨーク・ダダの活動拠点となったサロンの主宰者で美術品蒐集家のウォルター・アレンズバーグ(英語版)が参加し、23のダダイストの宣言文・詩が掲載された。 なお、第12号(1920年2月)までは当初の予定どおり月刊であったが、この第13号は前号の3か月後に刊行され、以後、第1シリーズの最終号(第20号)まで合併号を含み、不定期に刊行された。 ダダイスム、シュルレアリスムの画家ではニューヨーク・ダダのフランシス・ピカビアが第12号から、1921年にエリュアールと出会って1922年8月にドイツからフランスに不法入国してエリュアールと彼の最初の妻ガラのもとに身を寄せたマックス・エルンストがすでに第19号(1921年5月)から参加していた。このときの彼の作品《編まれたレリーフ》は、ページ全面に大きく掲載された最初の美術作品である。
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