タージ・マハル旅行団時代
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「長谷川時夫」の記事における「タージ・マハル旅行団時代」の解説
1969年、長谷川21歳の時、前衛音楽グループ、タージ・マハル旅行団に参加。ここではロックやジャズ、前衛音楽の分野から7人のミュージシャンが集まり、その三者の融合を図り、新たな音楽作りが目指された。試行錯誤の末、仏前のセレモニーにて、今でも仏教各宗派により種々演じられている、法事の音・リズムをも取り入れて、当時としては珍しい東洋的な音楽づくりも行なった。長谷川時夫はこのとき、ボーカルの他、トーキタイコ、ケヤキタイコ、尺八、ビワ等の演奏のパートを受け持っていた。1971年から1972年にかけて、彼が23歳の時、タージ・マハル旅行団の各メンバーとともに、1年間にわたりヨーロッパ・ツアーを行なう。グループは即興演奏を重んじ、シンプルな楽器による、自然の音をも取り入れた、東洋民族的な、宇宙の和音を感じさせるような演奏を行なう。この試みは、新しい実験音楽として、各地で評価を受けた。なおヨーロッパの旅行中、現在は英語が堪能だが、当時は外国語が苦手だった彼は、異国の自然環境に敏感となり、「地上のどこに居ても、自分のまわりには常に風が吹き、人はその場所・場所で、月や太陽と共に生き、やがて生まれた土地の土に還るものである。」との、悟りのような意識を持つようになる。と同時に彼は、「自分の永住の地は特に、月の美しい所でなければならない」と決め、月明かりの美しい都会から離れた場所を日本各地に探した。その頃結婚した。
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