タージ・マハル廟を設計した建築家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 03:13 UTC 版)
「アフマド・ラーホーリー」の記事における「タージ・マハル廟を設計した建築家」の解説
ムガル帝国のシャー・ジャハーンが亡后のために建てたタージ・マハル廟の設計者について、シャー・ジャハーン時代の出来事を伝える同時代資料は、何も書いていない。そのため設計者については諸説あり、たとえば、ミール・アブドゥルカリームとする説もある。 シャー・ジャハーン時代の同時代資料は、ムハンマドアミーン・カズウィーニーとアブドゥルハーミド・ラーホーリー(英語版)、それぞれの年代記が知られている。アブドゥルハーミド・ラーホーリーは、シャー・ジャハーンがみずから建設事業にのめりこんでいたことを強調する。アブドゥルハーミド・ラーホーリーによると、シャー・ジャハーンは豪華な建築物を新しく建てることに対して、他のムガル帝国のシャーたち以上に興味を示し、毎日のように建築家や設計者と話し合いをした。そして「熟練建築家がよく考えたうえで設計の変更を申し出れば、シャーはそれを高く評価し、的確な質問を返した」と記す。 ウスタード・アフマド・ラーホーリーは、そうしたシャー・ジャハーンの宮廷お抱えの建築家のひとりであった。マーンドゥーにある碑文によるとアフマド・ラーホーリーはデリーの赤い城の設計者のひとりである。また、後世の詩人のルトフッラー・ムハンディスの作品中の言及によれば、アフマドはタージ・マハル廟の建設工程を監督したという(前述のとおり、ルトフッラーはアフマドの息子)。21世紀現在では、アフマド・ラーホーリーが「おそらく、タージ・マハル廟の設計者であろう」とされている(例えば、ユネスコや『ブリタニカ国際大百科事典』)。
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